顕正会諸氏への問いかけ

浅井会長の謗法は無限





9/3に十四誹謗を書きましたが
それは上っ面の話でした

本当は謗法厳戒論に書かれてる事さえも
まだまだ水深数10pではないのかと思っています
余りに深くて底が見えません・・・

それを思うと「一念信解でいいはずがない」と
はっきり解ります
そして
なぜ折伏せよと仰られるのかが良く判ります
折伏は謗法を犯さないための戒めであると同時に
自身の成仏の鍵であり修行の根幹を成すものである
との確信が深まります

難しい事を知るより
先ずは折伏と言うのは間違いです
いつの日かの記事にも書きましたが
信行学がしっかりとかみ合い補いあってこその信心です
いかに信心がある様に見えても
懈怠や慢心を起こしていては成仏は叶いません
それら謗法を犯さないためにも
教学は必要です
そして学んだ事を実行に移し
初めて行が真っ直ぐになって
仏様のもとへ近づいていける・・・そうでしょう???


顕正会諸氏
謗法厳禁の真の中身を知らずに
謗法を語ってはいけません
何故なら真実を知らないのに知ってる様に語るだけでも
既に謗法だからです
信心の姿勢にすら謗法は潜みそれを魔と呼ぶなら
それは強ち間違ってないかもしれない
しかし、十四誹謗を学ばせてもらえず
慢煩悩 七慢 八慢 九慢をも教えてもらえず
どうやって正しい信心を保っていくのか
大聖人様が戒められた
これらを知らず正しい仏道修行が叶うのか
良く考えて頂きたい
浅井会長の言う事をただ信じていれば
それが大聖人様の御心に叶うのか
かつて
自分も浅井会長の言葉を信じていたから
こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど・・・

一冊の本に書かれた初心者向けの内容ですら
顕正会諸氏は破折出来ないだろう

有難いの三文字と広宣流布の四文字を忘れたら
大聖人様の弟子ではないと顕正会で言われて久しいが
大聖人様の弟子を名乗るなら
大聖人様が何をどの様に禁じられ
何をどの様に行わなければならないか
心肝に染めさせて頂きたいと願うのが
真の信心のあり方ではないだろうか
浅井会長は御書の一節を諳んじ
あたかも正しく解説している様に見えるが
仏様の説かれた仏法の奥底を極めたとでも言うのか
在家の凡夫が得たものは
大聖人様の説かれた法の欠片に過ぎないとの
謙虚さがないのは何故だろうか
誰を師として浅井会長は修行しているのだろう
大聖人様の御目を恐れるのではなく
ただお褒めに与るために
自ら折伏して歩くのが本当ではないか
浅井会長は在家の責任者であるから
立場的には講頭さんと変わらない
我が講の講頭さんは忙しく仕事しながらも
しっかり折伏している
浅井会長が折伏したなんて話
一度も聞いた事がない・・・
こんな在家信者を大聖人様は懈怠の弟子と呼び
信心薄きものと言われ
臨終の時我を恨むなよと御慈悲を述べられている
そんな大聖人様に真にお応えしていく方法は
仰せのままに随順するため
いかに仰せであるかをしっかりと心肝に染め
行動する事でしか成仏の道は開かれないのに
御書を読ませない顕正会は
教学を軽んじる風潮を作り出し
もっと学びたいと思う純真なる信徒の信心を殺して来た
これこそ獅子身中の虫 第六天の魔王の姿ではないか

顕正会を誹謗中傷していると言うのなら言えばいい
それであなたの気が澄むのなら
しかしそれは謗法であると明記してほしい
ニセ本尊を作ってそれを拝ませてる団体も
有難がって拝んでるあなたも謗法なんだよ


法は不知を許さず・・・


十四誹謗

具体的に浅井会長の十四誹謗が何にあたるかを考えてみました
御住職にはこの事聞いてませんが
謗法厳戒論から感じたままに・・・
驕慢
法華経を自分は読んでいるといって、威張りたかぶっている
「自分は大聖人様の仰せのままの信心を会員に教えてんだ」
「もう五十数年会を引っ張ってきたのは俺だ」
て、会長言ってそうでしょ・・・
懈怠
自分は信心をもっている、と口では言いながらお題目も唱えない
朝、ご本尊にお参りもしなければ懈怠

「会員に信心させて、折伏させんだ」と言いながら
会長は折伏してない。
どの席であれ、こんな人を折伏したなんて話一度も聞いた事なし!!!
我々講の講頭さんだって折伏してますよ
なのに立場的に同じ在家の人がしてないって
「大聖人仰せのままの信心してないじゃないかと
私は言いたい」
計我
我に執する。
「国立戒壇」を未だに叫んでる この一点でいいでしょ
他にもまだいっぱいあるけど
浅識
浅井考え・・・フフッ
法華経を勝手に自分の好きなふうに解釈して
御書でも勝手に悪く解釈して威張っておる

そのまんまです 浅井会長
御書の名称の改悪、勤行の改悪、御観念文の改悪
もう最悪です
著欲
貪欲ですね、自分の欲望のために御書を引用する
これもそのまんま浅井会長にあてはまる
だって切り文得意で、都合の悪い事は教えない
違うというなら顕正会員さんよ
日有上人の化儀抄を読んでごらんよ
いけね、読ませてもらえないからダメか
ごめんよ顕正会員諸氏
不解 不信 顰蹙 疑惑 
については会長の言葉からはよく解りません
誹謗
正宗を宗門を誹謗してる

この様に加藤の浅識な者でも謗法厳戒論で判断できちゃうのは
真にありがたいと、私は思っているが、皆さんはいかがでしょうか
(拍手は十分ほど鳴り止まなかった)
こうして総幹部会は新たな歓喜と決意の中に閉幕したのであった(爆)


浅井会長の謗法・・・・・・・・・・・

@ 戒壇の大御本尊様は公布の暁まで秘蔵し奉らなければいけない
現在の御開扉は甚だしく御聖意に背くものである

A 顕正会は解散処分を期に御在世の信心に立ち返り
遥拝勤行で広宣流布を進めている、これこそ御聖意に叶うものである

B 戒壇の大御本尊様は一閻浮提総与の故に私達一人一人は
この大御本尊様に直接繋がっている

C 一念信解で大功徳が頂ける

D 第二の五十年は大罰(だいばつ)の時代である
もし広宣流布しなければ日本は滅び人類も滅亡する

E この時大聖人様は忠誠の仏弟子の大集団を召し出だされる
ここに顕正会は大聖人様のご命令を聞き奉り
命かけてのご奉公を誓い奉ったのである

九月度総幹部会冒頭で浅井会長が語った
五十周年記念幹部会での主旨       だけど・・・

おいおいって 突っ込み所満載です。
既にその主旨が謗法
一々面倒くさいので、今回は省きます。
詳しくその謗法を知りたい方はメールを下さい
或いは、顕正会の誤りを正すリンクを辿って下さい







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