顕正会諸氏への問いかけ

国立戒壇と言う謗法




国立戒壇は国体思想が盛んだった明治大正時代
田中智学が言い出した言葉だとあちこちで書かれています
大聖人様の教え(御書)にない以上
この代名詞を用いなくても何も問題ない
代名詞にこだわり「国立戒壇を捨てたのは謗法」
と言う事は浅識謗法にあたります

仏法の深い義を解らず
字面だけを頼りにしてるのが浅井会長なんです

現在より深く仏法を学ぼうとする姿勢が常に大事であり
それを怠り既に知ってる等と思ったら
それは謗法なのです
そう言った謗法に塗り固められたのが
顕正会の国立戒壇なのです

『貴賎の差別なく、信心の人は妙法蓮華経なる故に、何れも同等なり
しかれども、竹の上下の節のあるがごとく、その位をば乱せず、僧俗の礼儀有るべきか』
身分が貴かろうと賎しかろうと
この信心において全く平等に即身成仏が叶う
しかしながら
一本の竹に上の節下の節がある様に
上下の位を乱さず僧俗の礼儀を守らなければならない
仏法においては、出家在家の別があり
師弟先輩後輩の別は厳全とある中から学びながら
最後は即身成仏と言う平等の大利益を得る

化儀抄のやさしい解説より

この礼儀を乱したのが浅井会長です
己義に酔い浅識に漂い我見溺れ遂に十四誹謗に陥った
解りますか???
十四誹謗の一つでも犯してはならないのに
顕正会の国立戒壇論と宗門への態度や言葉は
十四誹謗に満ちている

国立戒壇と言うだけで既に謗法なのです。




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