顕正会諸氏への問いかけ

国立戒壇の否定





こう書くと去年までの自分が恥ずかしく思えます
まぁでもそれはそれで
正しい事を知らなかった自分ですから
弁解できません

さて では本題です

明治時代の政治体制は天皇主権
そして終戦まで国体主義でした

その当時の一般信徒にとっては
国立戒壇という表現が理解し易かったため
この仮の名称を正宗が用いた事がありました

しかし明治時代以前は国立戒壇との表現は
使われていませんし
現在御宗門では本来の呼称である本門戒壇
本門寺の戒壇 あるいは事の戒壇
と言われています

これは何を意味するのでしょうか???

少なくとも明治以前のご歴代の御指南に従っていると見えますし
大聖人様の御金言通りの呼称だと言えると思いますが
どうでしょうか???

現在の御宗門では要らぬ誤解を招き
布教の妨げになってはいけないとの見解から
国立戒壇と言う仮の呼称を使用していません


要らぬ誤解
とはどういったものでしょうか

国立と言えば国家予算に因って国が管理運営する
本門戒壇とは本門寺本堂であるから
本門寺は国の元に置かれる施設となる
と言う事は
国から管理者が配置されるため
一切の最高権限は管理者に帰すのではないか
戒壇様の御守護は国に因って行われ
御法主上人猊下も管理者の下に置かれてしまう

変でしょ???
気づかないかな???
国立の名の元に 国が主で仏法が従では
本末転倒して仏法の道理からも外れてる 

何故なら
外護は信徒のつとめ
内護は法主上人猊下以下御宗門の御僧侶のおつとめ
これは厳然としてる
内護を在家がしてはいけない
御書や六巻抄に書かれています
顕正会の六巻抄にも竹膜をへだつべからずと書かれています

これは御僧侶と信徒の差異を厳然と戒められているのです
末寺の御僧侶と御法主上人猊下との関係もまた
竹膜をへだつべからざる事です
ですから
超えてならない領分が厳然と定められているのです

在家に与えられた伝持付嘱に対して
法主上人猊下に於かれては唯授一人付嘱
これは信心の根本であり
この事を忘れ戒壇様と本門寺を国家に委ねてしまう事は
戒壇の大ご本尊様を護持し奉る伝持付嘱の放棄となるので
信徒としては絶対に許されない行為なのです

どうですか???

以上の理由から
国立戒壇との仮称の否定をします





back/bbs/blog

inserted by FC2 system