常楽我浄について「捨邪帰正のすすめ」より

〜何の不安もなく自由自在に生きていく中に、生きる事の歓喜と、力強い生命力が溢れ、しかも勝れた人格を自ずから形成していける人生〜

常・・・自由自在の生命活動
楽・・・生きて行く事自体が楽しいという絶対の幸福感
我・・・何物にも紛動されない円満で強靭な主体性
浄・・・何物にも染まることのない清浄な生命
正しい仏法を信仰して得られる幸福と利益を一言で言えば常楽我浄となる

日々の信行が実は大変有難い果報に到る直道。つまり成仏に至る。その過程で大小様々な苦難にあっても、今は冥伏している最大にして本当の功徳を目指して歩みたいと思う。


あらゆる苦難の解決

馬鹿は死ななきゃ直らないって本当かもしれない、と思う事もある。
でも本当にそうなんだろうか???信心をして変化して行く過程に実感がもてないから、以前と殆どかわらないと言うのが実際の感想。
しかし、お寺の奥様は言うのだ「あなた、かわったわよ、随分目つきが良くなったし、顔も優しくなった」

実感をなかなか持てないのは歳を取るのに似てる。内面的にも外見であっても、成長している自分にはなかなか気が付かない。
それが本当に良い事か悪い事か判断は置いといて、この信心をすれば間違いなく人はかわる。 まじめに取り組めば、正にあらゆる苦難を乗り越え、その苦難を糧として成長していける「力」が湧いてくる。 誰にでも間違いなく、そして、罪障消滅とはこういう事なのだと、乗り越えて初めて事実を知る。
更に、転重軽受のありがたさを知っても、それが功徳の一端なのだと知れば本当の功徳の巨大さに目眩を覚えるかもしれない


生まれ変わり死に変わりを永遠の様に繰り返す宿命を「かえる」のは、この人生で決まる。
だから自分はかえたいと思い、かえるべく日々を生きている。

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